そもそもなんでパン屋だったのか?続き
「どう生きたら、死ぬ時に後悔しないんだろう??」から続きます。
25歳で100日を超える入院から復帰した私は毎日考えていました。
同じ病室にいた女性は、最初は元気に見えたのに、癌のために乳児を含む3人の幼い子供を残して亡くなってしまいました。私は死ぬことがとても怖かったのです。自分が認識することさえできない長い長い永遠の時を思うと、どこかに吸い込まれるようななんとも言えない感じがします。
とにかく、「死ぬ時に、ああ良い人生だった。って思いたい」
「今の私は、自分の人生を生きていない」「このままじゃだめだー」
強烈にそう思いました。
でもこれは仕事の優劣の話ではないのです。
「自分で決めていない」という感覚でした。
私の両親は、いわゆる毒親ではありません。他と比較することはとても難しいので、あくまで私の主観ですが、過保護過干渉と心配症の気がある普通の愛情ある親です。そして、私はいちいち反抗しながらも、結局は親の薦める道を歩いていました。
自分も娘を持つことができた今ならわかります。親も自分が薦めていることが必ずしも正解だとは思っていなかったのだと。
考えていたことは、私に「幸せな人生を歩んでほしい」だけだったと。そのために自分が考えうるなんとなく良さそうなコースを提示してみただけだったのだと。
それを、「こうしなければならない」と受け取ったのは私で、それにあらがうほどの別の何かに対する情熱を持っていなかっただけだと。
もし私が自分の娘にアドバイスをすることがあれば、「こんな道もあるよ。でもそれが正解かどうかは分からない。」と伝えたいと思います。それと同時に、小さなことから、「自分で決めさせる」を心がけています。子どもにとって(特に女の子?)親の言葉は思ったよりも影響が大きいように思います。
25歳の時は分かっていませんでした。
子供の頃から全てを悟っているかのような人もいます。私はまだまだ生まれ変わりが足りない。と最近よく思います。それは自己否定ではなく、むしろあきらめと自己受容だと思っています。だからこそ、ずっと成長し続けたいという欲があります。
そして、25歳の私が出した答えは「自分が決めたことをずっと続けることができれば後悔しないだろう」でした。そして、それがパン職人でした
(今は少し考えが変わりました)
まだ「なんでパン職人?」の答えにたどり着きませんね。
子供の頃からよくお菓子は家で焼いていました。楽しかったからです。食べ物を作る仕事がしたい。という気持ちはずーっとありました。
ローラ・インガルス・ワイルダーが開拓者としての自分の生涯を書いた「大草原の小さな家」シリーズが好きで、食べ物はもちろん、全てのものを一から作ること、自立して生きることへの憧れがありました。中でも、開拓者が作る「サワードゥブレッド」にはパン作りの原点があり、とても惹かれました。本から想像しながら実際に作ってみたら、犬しか食べてくれない、硬くてしょっぱいパンが焼けたのを覚えています。
パンにまつわる微生物と醗酵、熟成、粉のたんぱく質の違い、そういったことも私の理系心をくすぐりました。職人にも憧れていました。
お菓子は退院後、「嘘と迷信のないフランス菓子」という教室に通ってみました。そこで習ったことは目から鱗のことがたくさんありましたし、知り合った人たちもなかなか刺激的でした。でも、お菓子は芸術的センスがないと無理かも。という消去法もありました。
それと...この教室は代官山にあるのですが、当時代官山にあった「カフェ・アルトファゴス」(パン屋)に立ち寄ると、そのパンの香りに圧倒されました。買ったパンを紙袋に入れてくれるのですが、それを持って電車に乗ると、車両中に香りが充満してしまうのではないかとドキドキしたことを覚えているし、その香りを今も思い出せます。後にそのパンを焼いていた志賀シェフのもとで働けたのはほんとに幸せでした!
それと、当時は認識していませんでしたが、ずっと低血糖があったのかもしれません。
2人の子を出産するまでは、自分に健康上の問題があるとは全く思っておらず、スポーツもバンバンし、めまいですら、単に機能障害だと思っていましたが、高校生の頃から居眠りの激しい人でした。大学の講義もだいたい寝ていたように思います。一度、大学の診療所に行き、「講義中に眠くて起きていられないのです」と相談しましたが、「講義は眠いもんだ!」と一喝されて終わったのをよく覚えています。
夜遊びもしましたが、いつも寝不足だったわけでもありません。
そしてそれは就職してからも続きます。実験をしている時は手を動かしているので大丈夫でしたが、セミナーや勉強会はほぼ爆睡していました。誰しも勉強していて眠くなることはあると思いますが、ちょっとひどかったのではないかと思います。
それもあって、「主に身体を動かして働くお仕事をしよう」と思いました。
そんなこんなで、自分の心にピカーン!と残ったのがパン職人だったのです。