もっと楽しく元気になる食べものとかの話

人生がもっと楽になる。身体を作る食べ物のこと、栄養のこと、早く知りたかったこと、シェアしていきます。

そもそもなんでパン屋だったのか?

「そもそもなんでパン屋だったの?」って時々聞かれます。

「そもそもなんで会社員なの?」とは人は聞かないのに。

 

そもそも私は会社員でした。

大学で生化学を専攻して卒業後は製薬会社で研究職という名のお仕事をしていました。

 

今となってみれば、不調は40を過ぎて急に始まったものではなく、子供の頃からのあれやこれやからずーっと繋がっていたと思います。でも、若いうちは誤魔化すことができるのですよね。ずっと自分は健康で元気だと思っていました。

 

幼少期は丈夫な方ではなく、小学1,2年の頃は熱を出したりしてしょっちゅう学校を休んでいました。

身体も小さかったので、ランドセルが重すぎるのではないか?と、祖母が赤い布でリュックを作ってくれて、しばらくそれを使っていた時期もありました。

個人的にはランドセルの必要ある?って思います。あれは重いですよね~

 

何歳だったかは覚えていませんが、低学年のとあるお正月に遠くに住む祖父母に電話をかけた時、左耳が聞こえてないことが発覚しました。生まれつきなのか?いつからなのかは分かりませんが、お医者さんにはおたふくかぜの後遺症でしょう。と言われたそうです。

 

おたふくかぜはとても軽かったのですが、それでも難聴になることもあるのだそうです。でも片方聞こえればだいたい大丈夫です。

 

問題は平衡機能でした。

 

たぶん中学生くらいからだと思いますが、突然ぐるぐる回るめまいが起こるようになりました。いつも本当に突然でしたし、いつめまいが起こるのか自分でも分かりませんでした。

 

第一希望の高校入試の直前にもぐるぐる回っており、もちろん落ちました。

深く考えもせずに受けた第2志望の高校は、家からとても遠くて寮に入りましたが、この頃まためまいがひどく、2年生になる時には家族が引っ越して自宅に戻りました。その後5年ほどは薬でなんとかなっていましたが、大学4年生になるとまたぐるぐる回り始め、卒業はできましたが卒業式の朝からぐるぐる回って式には参加できませんでした。

 

いろいろあったものの、無事に就職はできましたが、会社に入ってからも突然回りだすのは続きました。ブラックなところは何一つない、恵まれた環境だったので、ストレスは殆どありませんでしたが、これでは働き続けることができないという状態になり、入社3年目頃に「手術をしてめまいを止めよう。」ということになりました。

 

めまいの原因は分からないけれど、左側の三半規管の機能不全かも。

左側の上下前庭神経を切断すれば、やがて正常な右側の神経だけでバランスをとれるようになり、めまいは起こらない。ということでした。

 

神経を切断すると言っても、その神経があるのは、頭蓋骨の中です。まずは耳の上の頭蓋骨を長方形に切り取って外し、内視鏡で中に入り、さらに先にある骨の壁を歯医者さんのドリルのようなもので直径1cmくらいの穴を開け、その奥にある上下前庭神経をハサミで切る。ドリルで開けた穴は、太ももから取った筋膜にフィブリン糊をつけて貼り付けてふさぎ、頭蓋骨をもとに戻す。とまあ8時間もかかるものでした。

 

考えたら恐ろしい手術ですが、その頃は突然のめまいに翻弄されすぎて先が見えず、とにかくめまいが止まるなら。と、怖さは感じていませんでした。

 

当時、私が所属していた研究所の所長さんは、「最近抗ウイルス薬でめまいが改善するという報告があるから、まずはそれを試してみたらどうか?」と言ってくださったのですが、すでに同意書にサインをして、「早くめまいをなくしたい!」と思っていた私は、「もう決めましたので」と答えてしまいました。

 

後悔はしていませんが、今の私なら試してみただろうと思います。その所長の言葉が忘れられないのは、やってみれば良かったという気持ちがあるからかもしれません。

 

そして!その手術を受けたわけですが、なんとわざわざ太ももの筋肉から切り取って貼り付けた筋膜がちゃんとくっつかなかったらしく、術後に髄液が鼻から出っ放しになってしまいました。そして脳が外と通じてしまっているがゆえに感染が起き、40度越えの高熱が何度も出るという事態に。生まれて初めて、まだ25歳にして、「これは死んでしまうかも」と思いました。それはそれは怖かったです。

その時強烈に「まだ私ちゃんと生きていない」と思いました。

その後再手術をし、もちろん生還したわけですが、ここから葛藤が始まりました。

「どう生きたら、死ぬ時に後悔しないんだろう???」

...つづく...